ヒーリングの記録

『肩に槍が突き刺さったような痛みを感じる女性へのヒーリング』 4.病気は忘却の彼方へ

12.8年間の涙

ミツさんから自身が痛みに対して愛着にも似た感情をもっていたと気づいたCさん。一転して、改善した箇所を探し始めた。

「すごい…!」

聞くと、昨夜シャンプーをしたときに地肌が痛くなかったという。これは聞いていなかったが、Cさんは地肌にも激痛が走り、シャンプーも大変だったと。さらに、服を着るのも痛くなかったと。ボロボロと、改善した箇所が出てきた。ミツさんがよく言う通り、痛みがあった過去を忘れていた。

以前Cさんは、ある有名なヒーラーのエネルギー治療を受けにしばらく東京に通っていたそうだ。そこは、線維筋痛症が治ると言われているところだった。

しかし、Cさんが通い続けると、それまでなかった太ももの内側に「ジャリジャリとした石コロ」が現れた。それは治る途中だと言われたが、通い続けても改善しなかった。

ただ、痛くなっただけだった。それをそのヒーラーに言うと、すでに治っているからもう来ないようにと、ひどい扱いを受けたという。Cさんにはその人への怒りがあった。それを聞いて、ミツさんは言った。

「その人のせいにしても意味がないです。その人も、よく分からなくなって、治せないから怒っただけです。分からなくないですよね、その気持ち」

ミツさんは、そんなことをしない。それなのに、そのヒーラーの肩をもったことにどこまでも奥深い精神性を感じた。

そして、実は大変な思いをしているのはCさんではなく罵倒したそのヒーラーだと。罵倒した人は、罪悪感から眠れない。また、恨みをもった人も、その怒りによって眠れない。それは忘れたらどうですか?そんなような話だった。

「ただ喜んだらいいんです」

ミツさんは、そう言った。それ以外でも、それ以下でもなく、ただシンプルに感じることが大切だと。恐らく、そういう意味だったと思う。

それから、ミツさんは前日に見つけた新しいヒーリング方法について話した。新しく開発したヒーリング方法があると。それがガチッとはまり、もう初めに戻ることは絶対にないと言った。

「すいません…混乱していて…」

急に痛みがなくなったCさん。座ることで激痛が走るので、家にいるときも食事中もずっと立っているCさん。それが、気づいたら10分以上普通の表情で座っていた。みんな気づいていたが、本人が気づくまで言わなかった。

「峠を、超えましたね」

ミツさんがそう言うと、Cさんは涙を流して喜んだ。

「生きるのを諦めなくて、本当によかったです。本当に、今、幸せです!」

そう言って、何度も何度も幸せだと言って、振り返りながらCさんは東京本社を後にした。

13.3日間の奇跡、そして疑いの心

その日の夕方、Cさんからメールが来た。「本当に痛みがない」と。痛みのない身体がこんなだったのかと、不思議な気持ちでいっぱいだと。

そこには、ヒーリング効果に戸惑う気持ちと、生きることを諦めなかったことで訪れた安堵と。

「奇跡です!」

短期間でここまで痛みがなくなったこと、時間が経つにつれてどんどんよくなっていること。それを一言、そう表現していた。

その後、Cさんに電話もした。毎日の報告と状況確認は、ヒーリングを継続で受けるときの予習のようなもの。Cさんの声は、思ったより穏やかだった。

そこで言われたのは、メールした時間帯よりもさらに痛みが減っていると言う。背中の痛みはほとんどなく、寝ころんで肌が触れても痛くない。

「あのとき、混乱してしまっていて…」

痛みを探した自分を振り返り、冷静だった。帰りに立ち寄ったカフェで、さらに、徐々に痛みが消えていったという。それが、不思議でならないという。

「たったの3日間で…こんな急激に!」

その声は、やはり興奮していた。しかし、最後にこう付け加えた。

「本当に、ずっと続くのかな?」

人は、言葉に辿り着くまでに200以上の思考回路を通るとミツさんが以前、言っていた。そういう意味では、言葉は現実創造の最終段階。

言葉も、現実をつくる。

14.治れば、病院でも宗教でも何だっていい

次の日、8月7日(火)もCさんは明るかった。

激痛だったお尻や太ももの痛みが、時間が経つにつれて改善したこと。肩の痛みが、肩こりほどに改善したこと。スマホも持つ手が激痛だったのが、長時間持つことができるようになったこと。

嬉しそうなCさんの報告の後、ミツさんは次のヒーリングをはじめた。前回は上半身、今回は下肢。この新しく開発したヒーリング方法は、手の動きが独特だ。撫でるように、塗るように、そっと触れるように、手を動かす。ミツさんは、目を閉じながら、またはじっと見つめながら。

30分以上。30分以上の無言とヒーリングが終わった。意識があるのに、寝ているようだった。そうCさんは不思議な感覚を表現した。

「来たときより、さらに緩んでいます」

ミツさんは、再度Cさんと地球をエネルギーでつないだ。病気の因果は、小さいものでいえばたくさんあり、細かいところを見つけては潰し…を繰り返した。改めて、こう言った。

「ヒーリングでも、病院でもいい。どんな治療でもいいけど、治るかどうか?が問題なんです。治るなら、神社だって宗教だっていい」

治療行為に、国境はない。

病気治療には、特に原因不明の病気にはヒーリングがベスト。そう思って、前里光秀研究所はヒーリングをしている。

15.「これは、あなたの病気です」

その日の夕方、Cさんから痛みを訴えるメールが来た。お尻と太ももに激痛が走る。今、座れないくらいに痛い。緩んだ身体に、力が入っている。1人宿泊しているホテルでマイナス思考になり、悲痛を訴えるメールだった。

明らかに、Cさんは忘れていた。上半身の痛みが、ほとんどなくなっていること。上半身のヒーリングのときも、改善する前は痛みがあったこと。原因はなくなった、と言ったこと。

次の日、8月8日(水)はCさんは暗めの表情だった。これまでの改善をゼロとでも言うかのように、落ち込んでいたのがすぐに分かった。

そんなCさんに、ミツさんは言った。肩の痛みがなくなる前も痛みがあって、今現在も同じようなプロセスだと。3歩進んで2歩下がるときもあって、3歩進んでそのままのときも。また、薬が及ぼす影響についても。

病院に1年半入院して改善しなかった病気が、たったの数日間で劇的に改善している奇跡。きっと、1ヶ月前に今の状態は想像もできないくらい素晴らしい状態。それでも、それすらも慣れてポロポロと出る言葉。

「ここも、やってもらえますか?」

猛スピードで改善していながらも、さらにもっとできないかと要求があった。ミツさんは、今すでにやっていると間髪入れずに伝えた。そこに痛みがあることは、何十回も聞いていた。そんなCさんに、ミツさんがはじめて厳しく話した。

「これが、病気です。パッと消えるわけではない。それでも、いい環境にいることは理解しないといけないんです。改善していることから、目を背けてはいけないんです。気持ちが弱くなるのも理解できますが、この機会を逃して大丈夫ですか?」

今、この機会を逃して大丈夫ですか?ミツさんは、娘さんの気持ちを汲みながら、不安ばかりを言うCさんにしっかりと話した。申し訳ないと言うなら、しっかり自分で治しなさいと言っていた。Cさん以上に、まわりも大変だと。

すると、Cさんは新しい病気の原因を持ち出した。ミツさんは、それは関係ないと言った。そして、ミツさんはヒーリングするときの姿勢について話した。そして、

「これは、あなたの病気です」

改めて、そう言った。劇的に改善した2日前。それでも痛みを探そうとしたCさん。

「あのときに、こうなるのであればもっと気持ちを上げておけばよかったと思いませんか?」

痛みを招いた思考について、しっかりしてくださいと言っていた。娘さんに甘えないように。病気をもっているから泣き言を言っていいわけではない。まわりも、大変だと。

「病気は、自分で治すんです」

出会ったばかりのまったくの他人が、命を懸けて病気と立ち向かう。そのもとには信頼があり、それなくしてヒーリングはできないと。

前里光秀研究所が、ただの仕事としてヒーリング治療をしているわけではない。宇宙から授かったギフトであるヒーリングを通して、ただ目の前に来た方によくなってほしい。それだけだった。

はじめたきっかけは、それだけだった。病気を受け取るリスク、治らなかったときに詐欺商法と言われるリスク。そもそも、治ったとしても多くの人がそれでも疑いの目を向けるリスク。

職業ヒーラーと言うと聞こえはいいが、相当な覚悟が求められる仕事でもある。ある意味、使命感なくしてできない仕事でもある。

そういう意味でお金のためと考えると、ヒーリングは割に合わない仕事だったりもする。すでに企業5社経営のミツさんにとって、ヒーリングで受け取る対価と消耗するエネルギー。また、そこに向かうまでの日々の準備と定期的に行われる異次元での過酷な訓練とその年数。ミツさんは、たった数時間の睡眠中に異次元で7年間の訓練を受けたりする。師匠といえば、その異次元存在。

なぜ、そこまでしてヒーリングをするのか?

それには、ある存在とのある約束があった。それを踏まえた上でも、ミツさんのヒーリング能力の向上のスピードは近くから見ていても圧倒的だ。ミツさんの思いに、Cさんは涙していた。Cさんは、気持ちを取り戻した。強い決意をもって病気を治すと、ミツさんに話した。

その日のヒーリングは、各自の仕事を調整し、5人が総出で行った。各パートに分かれ、徹底的にヒーリング治療を行った。まるで集中治療室のような状況で、総出でヒーリングをした。

16.ヒーリングで、ここまでも現実は変わる

長い長いヒーリング時間が終わると、Cさんは感動した面持ちでいた。後から聞いたが、僕たちの気持ちが嬉しかったという。そして、少しの話のあととても明るい笑顔で帰っていった。

夜、Cさんに電話をした。1回出なかったが、次は長いコールで折り返しが来た。すぐに出られない状況だったが、その折り返し電話に出ることができた。

そこには、声の弾んだCさんがいた。もう数日間も槍が刺さったような肩の痛みがないから、安心していると言っていた。指も、足先も、頭皮も…もう完全に戻らないと思っていると。

「先生が言っていた、『忘れる』ってこういうことだったんですね!」

忘れていることを覚えている。矛盾。でもそれは、痛みがなくなったことは覚えているが、その痛みとの距離が遠くなっている証拠だった。つまり、忘れる方向に歩いている。

途中で、はじめてCさんの家庭状況について話を聞く場面があった。この病気になってずっと、娘さんのMさんがCさんのサポートをしてくれた。旦那様は、仕事が中心だった。あまり、病気の重大さを理解していないように映ったらしい。

それが、Mさんが出産をしたことがきっかけとなって旦那様に変化が訪れた。Mさんのサポートがなくなり、いよいよ自分がやらないといけないとなり、そこではじめて病気の大変さに気づいたらしいという。そして、旦那様は会社を辞めた。Cさんのサポートをするために、すぐに会社を辞めた。

「優しいですね!」

思わず、そう言った。今はまた職場復帰しているそうだが、Cさんは素晴らしい家族に支えられている。病気はあるが、家族の思いやりもある。もしかしたら、病気がなければその思いやりを体験しなかったかもしれない。

そういう意味では、病気とはメッセンジャーの役割があるとも言える。

Cさんとの電話を切ると、数分してまたかかってきた。言い忘れてしまい…という前置きの後で、「これもヒーリングですか?」と、ある箇所について話してくれた。

右脇腹に、3~4cm大の骨の出っぱりがあったという。恐らく、先天性だと。何か痛みがあるわけではないが、出っぱりがあったという。それが、気づくとなくなっていると。興奮しながら、Cさんは聞いてきた。

「これも、前里先生のヒーリングの効果なんですか?」

ヒーリングは、もともとは病気を治すという行為ではない。本来の自分の波長とズレた箇所を統合させ、本来の自分に戻すこと。だから、部分々々にはたらきかけるものではなく、全体性として捉えての治療をする。

ヒーリングをすると、その治療データが本人の身体に転送される。不自然な部分があれば、もちろんそれも戻っていく。線維筋痛症の完治が目的でも、ヒーリングには様々な2次的な作用もある。言葉を変えれば、いい副作用。

Cさんは、改めてヒーリング効果の凄さについて感動したようだった。また明日の約束をして、電話を切った。

さらにまた時間を置いて、また報告があった。メールだった。また、気づかないうちに改善されている箇所を見つけたという。

Cさんは、毎月2回、滋賀から名古屋まで、ある有名なカイロプラクティックに通っているという。そこは、頸椎12番目の歪みを整えることによって難病を完治することができるという。そこに行く前に、いつも歪みを確認すると。すると、必ず左に2cmズレているという。

それが、その日に調べたら見事に綺麗に整列しているという。しかも、最近は行っていないとのことで、これはヒーリング効果に間違いないと。名古屋まで行く必要がなくなったと喜んでいた。

そこには全国からたくさんの難病の方が通っているという。Cさんは1年半通い続けて、諸々の症状がよくなったという。しかし、線維筋痛症は時間がかかると言われているという。

それが、たったの数日間で知らない間に戻っていた。本当にすごいところで治療を受けていると感謝の言葉が並べられた。そして、病気を自分で治すとも書いてあった。決めた、とあった。諦めない、とも書いてあった。

ミツさんにその喜びの声を伝えると、こう言っていた。

「時間が空いて、よかったね^ ^」

その日もミツさんは、どこまでも淡々としていた。そして、優しかった。

17.痛みは、記憶とともに

「奇跡です」

頸椎が自然と整列されたことをそうメールで表現していた。奇跡は、そうそう買えない。

次の日、Cさんはそのまま笑顔だった。昨日の喜びそのままに、話を振ると、また興奮が溢れてきた。こういう記憶は、何度でも呼び起こしてあげたい。そして、一緒に共有する。病気の改善には、同意者が必要だ。

このときのヒーリングは勇気さんが担当した。現場に登場した勇気さんは、すでにミツさんとの打ち合わせを終えていた。治療内容は、すべて決まっていたようだ。勇気さんを横を通り過ぎるとき、よく見間違えるときがある。ミツさんと見間違えるときがある。

「よく似ていますよね」

Cさんがそう言ったか曖昧だが、たしかそう言った。よく言う人がいる。そして、ヒーリング技術もミツさんと重ね合わせるように共通点もたくさんあるようだ。また、感じ方にも相性があるといい場合によっては勇気さんが指名される。目には見えない存在が、指名をするという。ここは、勇気さんにやってもらおうと。

その技術は超高度で、ミツさんも唯一ヒーリング会開催の許可を出した。今回は、Cさんのヒーリング。その役割を担った勇気さんは、Cさんの痛みをさらに緩和していった。Cさんも、ミツさん以外にこれができるのかとさすがに驚いていた。

そして、それから1時間ほど空けて、次にミツさんがヒーリング。いつものように現場に立ち会うと、外に出るようにと言われた。現場にいたヒーラーたちはミツさんとCさんを残してすぐに外に出た。その意味は、だいたい分かるから。2人以外誰もいなくなるのでこういうときは、公式記録が残らない。

そして、不思議なことがある。それは、記憶にも残らないことがあるということ。1時間ほど経ってミツさんに呼ばれると、Cさんの見送りだった。

「前里先生と、こんなに話ができて本当によかったです」

Cさんは、笑顔だった。いえいえ、という表情でミツさんはいつものように控えめだった。そして、ミツさんのタイムリミットも迫っていた。次の日は、ミツさんはすでに東京にはいないとその場でCさんに告げた。そうですかと何の問題もなく笑顔で、Cさんは東京本社を後にした。

その日の夜、Cさんと電話で話した。すると、予想が的中した。

「今日も録音していたはずなんですが、なぜか録音できていなかったんです」

では、どんな話をしたんですか?そう聞くと、いまいち思い出せないという。ただ、面白かったし、本当にいい時間だったと。1つだけ、話した内容を話していたが、あれだけ話して、1つだけ。

不思議だが、こういうことは、よくある。でも、決まっていることもある。忘れた方がよかっただけ。これから変化をしていくのに、記憶はなくても問題はない。訪れた癒しがCさんを変えたなら、記憶はなくても問題はない。

変化と記憶は、共存しないのかもしれない。そういう現象だった。